私の始まりの絵
これは2012年に書いたバラの絵です。
この絵がそれ以前の私の絵と違う点は、
自分が本当の意味で好き勝手に絵を描いたもの。気持ち悪いとか病気っぽいと言われても、これが私の絵だと言える。
という点です。
↑この絵を親に見せた時、病気っぽいと言われました。
この絵は、一人で暮らすようになってから初めて、自分から描きたいと思ったものです。私はこの絵が好きです。
これから先、編み物の先生もそうですし、友人や恋人、家族との何かしらの関わりは続いて行きます。
自分がこうだと思ったら、それが誰かを傷つけるようなことでないなら、胸を張って自信を持って、自分の意見を伝えます。
それは自分が生きている証なんだと思います。
この絵は私のかけがえのない、目で見る私の自己主張、そのものなのです。
ぽんぽんじゃぽん、ぽんじゃぽん
兵庫から大阪経由で帰路につく人から、お土産のリクエストが来たため、パッと調べて興味が出たものを頼みました。
それがこの、Ponpon Japon(ポンポンジャポン)です。
↑箱も包みもデザインが素晴らしい
ポンポンジャポンはおこしをアレンジしたお菓子で、フレーバーの種類がたくさんあります。そしてその種類が本当に個性的なのです。
メープルシロップやミルクちょこなどのメジャー系はもちろん、スパイスカレーや胡麻きんぴらという食事系も用意されてます。
私はアールグレイを頼みました。
珈琲を飲みながら食べてたのに、紅茶を飲んでるかのような風味で、口の中が幸せいっぱいになりました。
見た目も味も華やかで、駄菓子で素朴なイメージのおこしが様々なドレスで着飾ったポンポンジャポン。
今は大阪でしか買えないのかな?
東京にも出店して欲しいなぁ。
17年ぶりの縫い物
前々から頼まれていた、ドラムのスティックケースを作りました。
編み物でも縫い物はしますが、内袋をつけたりステッチをしたり、ボタン付けするくらいです。
その為こんなにしっかり「生地から物を作る」事をしたのは、中学の家庭科でエプロンやお弁当箱入れを作った以来でした。
何か型紙はないかと「ドラムのスティックケース・自作」で調べても、ファスナーのあるペンケースのような形ばかりで、依頼されていた「一本一本入れられるようにして!」を叶えられず。
もう私縫い物出来ないのに!と思いながら編み物をしつつ。
そしてふとみたら、あるじゃありませんか良さそうなもの。そう、編み針ケースです。
なんとなく編み針ケースの寸法を測ってみて、ドラムスティックに計算しなおして。
やっと出来あがりました。
↑自分をイイコイイコしたい
でも、やってみると結構楽しんでいる自分がいました。縫い物が出来るようになれば、編み物の幅ももっと広がりますし!
今後は身の回りのものを作ってみようと思います。
手始めに、ブックカバーとしおりを、編み物と縫い物で作り上げたいなぁと思っています。
読書熱冷めあらん
昨日から今朝にかけて、夜通しで一冊の推理小説を完読しました。それは漫画やアニメにもなっている、綾辻行人さんのAnotherです。
本を読むことは小さい頃は大好きでしたが、社会人になってから読む本は、仕事に関する参考書のみとなり、物語とは縁遠くなっていました。
最近は自分の生活も自由が効くようになり、この度図書館にて、前々から気になっていた本書を手に取ってみたのです。
感想は、とても楽しかった。の一言です。これは本を完読した心の余韻をそのまま言葉に表したものなので、かっこいい言い回しにはなれませんが・・・。
ただ終わった後は、頭の中にミントが咲いたかのようなスッキリ感を味わえます。
そして私はまた、物語という想像を創造した世界へ、また心も身体もどっぷり浸かりたいという気分になりましたところ。
↑図書館で借りた本たち
こんなにまた本を借りてしまいました。
綾辻さんの影響で、推理ミステリー系と、あと以前は手に取ろうと思わなかったエッセイ。
年齢によって趣味が変わるって、本当なんですね。
当たり前という名の特別。
毎日こうして暮らしていると、いつも同じになる事柄たちが、当たり前という名前の服を着る。
着飾るのは構わないけど、その当たり前は本当に毎日やってくるのか。
自分が一分一秒そこにいるだけで、一分一秒周りも変化する。いつも必ず同じ時間に家を出る人も、いつも必ず同じコンビニでコーヒーを買う人も、いつも必ず同じ場所・同じ時間を歩く人も、必ず同じ右足から歩き出す人も。
自分自身ではいつも同じでも、周りは一度きり。全く同じ人や物が、全く同じ所に現れることは無い。
自分にとってはいつもと一緒でも、客観的には同じにならない。
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今日は久しぶりにバスに乗って街を眺めていたら、ふと空気に包まれている感覚が出て来て、ちょっと自分と周りについて考える時がありました。
絶対なんてないのかなぁ。でも約束を守ることは好き。それは自分と相手で絶対を作る行為なのかもしれない。
なんだか文章が取っ散らかってしまいましたが、要は何が言いたいのかというと、私はもっと当たり前に感謝しなくてはなぁと思いました。物も人も、もっと大切にします。そんな感じです。
cotomi
物作りの創造性、そしてポンポンヒヨコ
編み物をしているとふと、これは図形の組み合わせだと感じることがあります。
毛糸は色々な種類がありますが、基本的には垂直に切った場合、円筒状になりますね。
それを縦に横にと組み合わせていき、模様が出来、お洋服やアクセサリー、インテリアに用途が変化する。
編んでいる時に糸の変化を見ていると、針を進めることによって段を作り目に変わり、円筒状の長い物体がどんどん様変わりしていく。
編み物に限らず物作りって、無から有を生み出す作業みたいで、自分で言うのはちょっとおこがましいかもしれませんが、すごいなって思います。
↑以前作ったポンポンのヒヨコです。何も見ないをモットーに、感覚でハサミを操りました。
物を作るって創造的な分、自由と責任(お金が関わる場合)も多岐に渡る気がします。
職業にしている人も趣味にしている人も、きっと色々な思いのもと、手の中から物を生み出しているんだろうなぁ。
素敵だなぁ、と改めて思いました。
cotomi